祖父の夢を叶えるため歯科医に
こんにちは。ササコ歯科クリニックの院長・笹子滋一です。
わたしは祖父・父と2代に渡る歯科医師の息子として生まれ育ちました。そのうえ父方・母方のそれぞれの叔父も開業医と、歯科医の家系なんです。
祖父は日本大学歯学部の保存学の教授、父は赤坂で開業医と、それぞれの立場や働く場所、そして治療の仕方も違っていたような気がします。
幼いころ祖父の治療を受けたのですが、優しくて丁寧な治療に驚いたことがあります。しかも麻酔注射の打ち方がすごく上手で、全然痛くなかったんですよ!
今に比べると器具の性能があまりよくなかったはずなのですが......。子ども心にすごいなって感心していました。
そんな祖父が亡くなったのは、わたしが中学1年生のときでした。
お葬式のとき、大学関係者が参列してくださり、大勢のかたからこんな話を聞きました。
「お孫さんが大きくなったら、一緒に大学に通うのが夢なんだって......。お孫さんのことになると、ほんとうに楽しそうにお話していらっしゃいましたよ」
もちろん、生前、祖父から一言も言われたことはありませんでしたが、祖父の想いを叶えるべく、歯医者さんを志すようになりました。
上位3位に入るアーチェリー部で活躍
大学時代はアーチェリー部に所属し、充実した学生生活を送っていましたね。
年に一度、歯学部対抗の大会があって、そこでの上位入賞がアーチェリー部の目標だったんです。
アーチェリーは団体戦で部員全員参加。おのずと練習にも熱が入り、授業が終わるとすぐにアーチェリー場に向かっていました。それが週2~3回あり、もちろん日曜日だって練習です。かなり本格的でしたね。
その成果もあり、大会では常に上位3位ぐらいに入る好成績で、結構強いチームだったんです(笑)
実力をつけるために外の歯科医院で修業を積む
大学卒業を控えていたころ、大学から「医局に残らないか?」という話をいただいたことがあります。
医局に残っても、当時はインターンがなかったため、患者さんを治療することができなかったのです。また仮に治療ができたとしても、診察できる患者さんの数は限られています。
たくさんの患者さんを治療して歯科医としての実力をつけるためには、大学以外の病院や歯科医で修業するしかなかったんですよ。
それに、父のようにいつか開業して、自分の歯科医院を持ちたいという夢もありましたからね。
大学に残るという話は嬉しいお誘いでしたが、自分の実力をつけるために敢えてお断りして外に出ることにしました。
こうして外での修業が始まり、たくさんの患者さんを診ながら、色々な症例を経験してきました。そのお陰で独り立ちする実力もつき、当院の開院にたどり着きました。
ササコ歯科クリニック 院長 笹子 滋一(ささこ しげかず)
1994年 | 日本大学歯学部卒 |
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1994年 | 青葉歯科勤務 |
1995年 | 新有楽町ビル歯科勤務 |
2002年 | 東京海上 海上ビル歯科勤務 |
2004年 | 赤坂にてササコ歯科クリニック開業 |
歯科医師 笹子 宣夫(ささこ のぶお)
1964年 | 日本大学歯学部卒 |
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